南アルプスエコパーク登録10周年にあたって

人新世(じんしんせい)という、人類が地球の地質や生態系に与えるようになった地質学区分が提起されているように、「素のままの自然」を観察することが困難な時代に、私たちはいます。

人も自然の産物ですから、「人は、何のために存在しているのか、どのように振舞うのか」、自らの心身内外を省みるとき、「素のままの自然」にどっぷりと抱かれる経験、その機会の保障は、共感や円滑な意思疎通の基礎として、ますます大切になっていくのでしょう。

ユネスコエコパーク登録10周年シンポジウムに伺いました

私たちの地域には、南アルプスという「素のままの自然」があります。井川地域をその構成地域として提起した当時が、思い起こされます。

同時に多くの市、町、県を跨いだ領域ですから、そのままですとハーディンが提起した「コモンズの悲劇」或いは「アンチコモンズの悲劇」が起こり易い領域ということになります。

そこで、オストロムの提起した「コモンズのガバナンス条件」にあるように、その近隣主体が協調して保全を担う母体が有効ということになります。

南アルプスエコパークには、その母体を担う効果もありそうです。

シンポジウムを拝聴

生成AIの普及など根源的な環境変化の渦中にあって、単に「観光のため」に留まらず、「人は何のために存在しているのか。どのように振舞うのか」、普段の暮らしでは知覚しづらくなっている「素のままの自然」に指針をたずねるための「公共財」として、

その効用を国内外からの来訪者へ持続的に供給していく、その母体・主体である私たち、その日々の暮らしを含めて、「国際公共財」としての役割もあるように感じています。

静岡の市民の皆さんによる公共財である「静岡市政」も、その保全の主体として、国際社会において名誉ある役割を、これからも担っていく、また将来世代から預かっている、といえそうです。

10周年を迎えて、これまで尽力して来られた皆さま、それを支えてくださった皆さまへの、南アルプスに相応しい敬意と感謝を胸に。

杉尾はなのき展望台から富士を望む